【第14回】帯津 良一 先生

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『旅の最中で(On the journey)』


帯津 良一(オビツ リョウイチ)
日本ホリスティック医学協会会長
帯津三敬病院名誉院長


 1975年、東京都のがんセンター的役割を担って再出発した都立駒込病院。全国津津浦浦から参集した医師たちはわれらが手でがんを克服してみせるぞとの野望を胸に意気軒昂として仕事に励んでいた。
 食道がん外科チームの一員として、日日明け暮れ手術に精を出していた私の野望に翳りが見えはじめたのはいつの頃からか。局所を見ることにかけては他の追随を許さない西洋医学だか、局所と他との繋がりを見落としているところに構造的限界があるのではと考え、視察のための初めての訪中を果たしたのが1980年。

 その際の見聞をもとに中西医結合によるがん治療を旗印にかかげた病院を郷里の川越に開設したのが1982年11月。その後、ホリスティック医学の洗礼を受け、東京医大の若手医師たちと語らって日本ホリスティック医学協会を設立したのが1987年。
 ホリスティック医学の成就を目指して邁進するなかで、1996年スピリチュアル・ヒーリングの研修ツアーでロンドンを訪れ、補完療法(Complimentary Medicine)の台頭に目を見張る。

 その後、ホリスティック医学を目指す者、ホメオパシーを避けては通れないとの考えから、これまた仲間と語らって日本ホメオパシー医学会を設立したのが2000年の1月。研修のために訪れたグラスゴウでは統合医学(Integrative Medicine)が花盛り。
 そのとき、ホリスティック医学がもたついているから代替療法(Alternative Medicine)が伸して来たんだよ!と吐き捨てるように言ったデヴィド・レイリー医師(グラスゴウ・ホメオパシー病院院長)の言葉が忘れられない。
 代替療法といい統合医学といい、病というステージにおける方法論の問題だがホリスティック医学は生老病死のすべてのステージを対象としている。つまり対象の広さが違うのである。だから統合医学が形を成して来たとき、その前方にホリスティック医学が姿を現すのではないかと思っている。

 ただ統合医学とは文字通り"積分"である。積分するとは双方を一旦ばらばらに解体して、これを集め直してまったく新しい体系を築くことだから、これまた並大抵のことではない。まだまだ旅の最中であることには変わりない。

【略歴】
1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒。
ホリスティックなアプローチによるがん治療。
日本ホリスティック医学協会会長。帯津三敬病院名誉院長。
タグ:医師
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【第13回】岸 愛光 先生

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『私と統合医療』 


岸 愛光 (キシ アイコウ)
日本ヨーガ・ニケタン福岡支部代表
日本ヨーガ療法学会理事

28歳の頃でした。
日本ヨーガ療法学会の理事長である木村慧心師の指導で、内観を体験しました。
その頃私は、体が弱く、またいろいろなことにやる気を失くしていました。
中学を卒業する頃、肋膜炎(現・胸膜炎)を患い、半年ほど自宅療養をしましたが、青春を謳歌している友人たちを見ながら、悶々とした日々を過ごしてそのまま月日が過ぎ、20代も終わりに差しかかる頃、内観を勧められたのでした。
自分勝手な思い込みが、自分で自分を追い込んでいたことに気づき、内観後、私の人生は変わりました。

その頃、ヨーガも習い始めていたので、しばらくすると、木村理事長からヨーガ指導と内観の指導もするようにとのことで、いろいろな人に出会い、さまざまな人生があることを知り、自分だけが悲劇のヒロインのように感じていた幼い心を持っていたことに気づいたのでした。
その後、インドへの修行会にも参加でき、次第に自分に自信が持てるようになっていったのでした。
 更に、内観がヨーガの基本になっていることも学ぶことができました。
 そして、心と体のつながりの深さを知ることができたのでした。
 ヨーガを行うようになってから、私は見違えるように健康になって行きました。

そして、今から26年前、日本ヨーガ・ニケタンの支部を福岡にも開設することになり、赴任することになったのでした。ほとんどつてのない所にほうり出される形でしたが、これがまた更に私を強くさせることにもなったのだと思います。
何かあればやる気を失いそうになる時、逃げ出すことができない状況におかれたことが、今となっては木村理事長の深い考えがあってのことだったように思われます。
まさにそれまでの私は、心身症・うつの状態だったのですが、内観とヨーガによって救われたのでした。
誠に私事で恐縮ですが、上記が私の体験です。

2003年に「日本ヨーガ療法学会」が設立され、私のように苦しんでいる人たちに、ヨーガが療法として生かされ多くの人に役立てられていることを、ヨーガ療法士によって症例が発表されることにより、統合医療の一つであるヨーガ療法を広く皆様に知って頂けるようになりました。
これからも是非多くの皆様に、統合医療を取り入れて頂き、全人的な健康を得、幸せな人生を送って頂きたいと切に願っています。

【略歴】
1949年生まれ。日本ヨーガ・ニケタンで修行を始めて40数年。現在は福岡市在住。
日本ヨーガ・ニケタン福岡支部を拠点に、修行会・ヨーガ療法士養成講座等の
開催・サポートに従事。
タグ:ヨーガ
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【第10回】濱野 富士代 先生

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『私と統合医療』


濱野 富士代 (ハマノ フジヨ)
山口柱氣の会  会長
IMJ山口県支部 気功部会長

  今から20数年前、看護師としての勤務中にメニエル氏病になりました。内服治療よりも効果があったのは、大好きな卓球をすることでした。眩暈が軽減したのです。西洋医学を決して否定するのではありません。確かに身体の中で気の流れの実感があり、不思議な体験を繰り返し、その経験から気功教室を開設しました。教室に通って頂いている方々の中には、高齢者の方が多く、体調不全やストレス・疾患を抱えている方が少なくありません。私は気功の力を使って手助けをしたいと考えましたが、中国の気功法をそのまま伝えてもいろいろな問題が多くて上手くいかず、中国の気功法が身体に良いといっても、実際には無理なことが多いです。そのうち、気功の本髄を崩すことなく、誰でもどこでも簡単にできる気功を生み出すことに成功しました。それはサッカーボールの絵柄のビーチボールをヒントとした新しい気功法です。その功法に参同して頂いた柴田会長先生から、第6回統合医療学会での講演のご依頼を頂きました。講演後もさらに発展させ、ボール以外のグッズを発見し、これを使っての気功法も生み出しました。不眠症、動悸、頻尿、腰痛、肩痛などが軽減したのは事実ですが、これらの功法の理論を立証することは容易ではありません。改善された声は多く聞かれましたがはっきりと目でわかるように確かめることは難しいです。身体に触れることなく気の流れを促すだけで、症状の緩和が測れる・・・といった気の効能を症例として数値で表すことはとても困難です。どんな治療法をしていても、今の身体の状態において、気の流れを促すことができれば、相乗効果はあるはずです。西洋医学と東洋医学の両方の治療が今後の医療に不可欠というのが、かねてからの私の思いでありました。統合医療との出会いは、まさに願ってもない出来事でした。最近、テレビなどで放映されている健康ストレッチ法などは、ご年配の方にはお勧めできません。その動作をちょっと気功的な動作に変えるだけでいいのに・・・と、テレビを見ながらいつも残念な気持ちでいっぱいです。Bodyなのです。また、気功教室でMind、Spiritな面を指導することが増えてきました。今回予定の統合医療学会のサブテーマが『Body,Mind、Spiritの存在』とのこと、まさしくこれから統合医療での気の研究がもっとできるようになり、気の証明に繋げていきたいと考えます。その場が統合医療なのです。

【略歴】
1972年 新日本製鉄所病院高等看護学校卒 同病院勤務
1980年 山口労災病院勤務
1993年 気功教室設立

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